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展示ケース

酒井抱一筆 結柳椿図幅

金美WEB展示会1月掲載

本紙 幅:30.0㎝ 長さ:126.5㎝

酒井抱一

宝暦11年7月1日(1761年8月1日) - 文政11年11月29日(1829年1月4日)

江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。本名は忠因、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)。狂歌名は、尻焼猿人。屠龍の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている。

尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となった。

 

竹内栖鳳筆 かれい図幅 竹内四郎極箱

金美WEB展示会1月掲載

本紙 横:31.8㎝ 長さ:26.6㎝

竹内栖鳳

元治元年(1864)-昭和17年(1942)

「東の大観、西の栖鳳」と並び称された、明治から昭和に至る京都画壇の中心的人物。1864(元治元)年、京都府京都市上京区に生まれる。父は料理屋「亀政」の主。13歳で四条派の画家に絵を学び、17歳で幸野楳嶺に師事。「楳嶺四天王」のひとりとして頭角を現し、1883(明治16)年より、菊池芳文らとともに京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の出仕となった。翌年、第2回内国絵画共進会に出品し褒状を受け、以降、内国勧業博覧会、日本美術協会、青年絵画共進会、日本絵画協会などに出品し、数々の受賞を続ける。
1887年、西陣の織物業を営む高山家の長女と結婚、「亀政」の筋向かいに住み、画家として開業。教職のほか髙島屋意匠部にも勤務し、美術染織品の意匠に携わった。師の楳嶺が没した1895年には、京都市立美術工芸学校の教諭、日本青年絵画共進会の審査員となる。1900年、パリ万国博覧会の視察を任命され、およそ半年の期間、渡欧。各流派の筆意が混在した画風が一時は「鵺派」とも揶揄されたが、以降、円山四条派の伝統的な写生を基礎に、西洋絵画や中国古典絵画の写実性を取り入れ、代表作《斑猫》(1924)に見られるような、独自の日本画を確立していく。1907年より文展の審査員を務め、1913(大正2)年に帝室技芸員となる。1937(昭和12)年、文化勲章を受章。晩年はたびたび病臥に伏しながらも絵筆を執り続け、1942年、78歳の生涯を閉じた。

6代大樋長左衛門造 布袋香合 共箱

金美WEB展示会1月掲載

径:4.4㎝ 高さ:3.8㎝

6代大樋長左衛門

文政12年(1829)-安政3年(1856)

5代長左衛門の長男として生まれる。弟は7代長左衛門(道忠)。

作風としては5代と似た穏やかな趣のあるものが多い。茶道具はもちろんのこと、注文に応じ写し物や食器なども手掛け、目的や求めに応じ創意を実現させた。

加賀藩の御用も多く、大福茶碗の献上・松の御殿焼物御用手伝い・二の丸御次御用手伝い・二の丸御広敷御用手伝い・金谷御殿御次御用手伝いなどを勤めている。

永楽正全造 染付芋頭水指 共箱 惺斎箱

口径:11.0㎝ 胴径:18.0㎝ 高さ:19.0㎝

千家十職、永楽家15代正全の染付水指。

芋頭水指は口がすぼみ、肩がなく、胴の中程から胴裾にかけて膨らんだ形のもので、特に染付の芋頭水指は古来より茶人に珍重されてきました。芋頭は、里芋の根茎のことをいい、里芋の形に似ているところからこの名があるといいます。

染付芋頭水指は胴に山水が描かれているものがほとんどで、この水指も近江八景の雄大な山水が細かく描かれております。

表千家12代惺斎宗左の御箱書となっております。

 

永楽正全

明治12年(1879)-昭和7年(1932)

14代永楽善五郎(妙全)の甥。元姓を山本、名を治三郎、通称を善五郎、号を正全。

妙全の没後、1932(昭和7)年までの約5年間、15代として活躍。 建仁寺4世竹田黙雷老師より「正全」の号を受け、三井高棟より「正全」印を拝領した。

 

祥瑞丸紋茶碗

金美WEB展示会12月掲載

口径:9.5㎝  高さ:8.7㎝

祥瑞は明代末期に景徳鎮窯で焼かれた上手の染付のことを指し、緻密に描き込まれた地紋と捻文や丸紋などの幾何学文を多用したいわゆる祥瑞紋様からその名があると言われています。

上質の高嶺土を使った精白な素地に、地呉須の最上手の浙青で絵付された鮮やかな瑠璃色の姿は品格ある佇まいで、粗雑ながらおおらかで自由奔放な古染付とはまた違った魅力であると言えます。、

初代西村松逸作 七夕蒔絵平棗 共箱

径:8.0㎝ 高さ:5.3㎝

初代西村松逸

明治27年-昭和56年

1894年(明治27)金沢市生まれ。本名、松三郎。15歳頃、五十嵐随甫(1852~1903)の弟子である近田市太郎、叔父の津田鉦一郎に師事して蒔絵を学び、塗りを独学で学び19歳で独立する。加賀蒔絵の伝統工芸を受け継ぎ、その技法を現代に伝える。茶器を中心に製作し、特に棗については新境地を開いた。1971年(昭和46)金沢市文化賞を受賞する。1981年(昭和56)没。

古銅梶葉耳花入

口径:5.0㎝  高さ:27.0㎝

明代の古銅花入。側面に梶の葉文がありそこに小さな耳が付いている。

日本での梶の葉は七夕の夜に七枚の梶の葉に歌を書いて織女星にたむける風習があることから、季語としては初秋である。しかし梶の葉は古来柏の葉と同じように食器として用いられ、後に神前の供物を供えるための器として用いられたことから、神職に用いられるようになったため、この古銅花入の耳としては季節を問わず真の花入として重宝すると思われる。

前田利祐公・鵬雲斎大宗匠・10代大樋長左衛門合作 福寿飴茶碗 共箱 鵬雲斎箱

口径:11.2㎝  高さ:7.5㎝

加賀前田家18代御当主前田利祐公、裏千家15代御家元鵬雲斎大宗匠、大樋家10代長左衛門(現陶冶斎)、三名合作の飴茶碗です。10代長左衛門の飴茶碗に利祐公が「福」の字を、鵬雲斎大宗匠が「寿」の字を彫られた特別な逸品です。

この三名は様々なご縁で繋がりも深い方々ですが、大樋焼で焼かれた大宗匠の手造り茶碗や利祐公の手造り茶碗と比べて、この三名の合作茶碗は特に数少ない貴重なお茶碗です。

福寿という非常におめでたい言葉が彫られているため、お祝いの席には大変な御馳走となることと思われます。

淡々斎筆 束柴瓢自画賛 共箱

本紙 幅:52.6㎝  高さ:30.3㎝

裏千家14世淡々斎宗室の束柴の自画賛。一見秋の風情の描いた画賛のようにも思えますが、束柴に瓢がぶら下がっており、また「千代の齢」という賛があることから、養老の瀧になぞらえることも出来ます。

 

「養老孝子伝説」 古今著聞集より

昔、美濃国に貧しいけれど親を敬う源丞内(げんじょうない)という樵夫が住んでいました。

毎日山に登り薪を取ってはそれを売り、年老いた父を養っていましたが、その日の暮らしに追われて老父の好む酒を十分に買うことができませんでした。

ある日、いつもよりずっと山奥に登りました。谷深くの岩壁から流れ落ちる水をながめ「あぁ、あの水が酒であったらなあ」と老父の喜ぶ顔を思い浮かべたとき、苔むした岩から滑り落ちてしまいました。しばらく気を失っていましたが、ふと気づくとどこからか酒の香りがただよってくるのです。不思議に思ってあたりを見まわすと、岩間の泉から山吹色の水が湧き出ているのです。これはどうしたことだろうとすくってなめてみると、かぐわしい酒の味がするのです。夢かと思いましたが、「有難や天より授かったこの酒」と腰にさげているひょうたんに汲んで帰り老父に飲ませたところ、半信半疑であった老父は一口飲んで驚き、二口飲んでは手をたたいて喜び、父と子のなごやかな笑い声が村中に広がりました。老父はこの不思議な水を飲んだので白い髪は黒くなり、顔の皺(しわ)もなくなり、すっかり若々しくなりました。

この不思議な水の出来事が、やがて都に伝えられると、奈良の都の元正天皇は「これは親孝行の心が天地の神々に通じてお誉めになったものでありましょう」とおおせになり、さっそくこの地に行幸になり、ご自身飲欲せられて、「わたしの膚は滑らかになり、痛む所を洗ったらすっかり治りました。めでたい出来事です、老を養う若変り水です」と年号を養老と改められ、80才以上の老人に授階や恩賜があり、孝子や節婦を表彰され、この地方の人々の税を免除なされました。

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古美術高辻

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